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-小麦粉記-

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第五楽章 後編 

ばたん。と侘須牙の部屋のドアを閉める。
三歩歩いて自分の部屋に戻った。
「あぁ、緊張した・・・・。」聞こえるとまずいので小さい声で。
治療の間ずっと侘須牙に手をにぎられてどうにかなりそうだった。どうにかなりそう、と言うのなら二人三脚で侘須牙に手をまわされたときからどうにかなりそうだったんだけどさ。
汗を大量にかいたので風呂には入らなければいけず、この手じゃなかなか大変で左手にビニール袋を被せ更に常時挙手、みたいな間抜けな体勢にならなきゃなかった。
あぁ、そういえば今日はまだ飯をくっていない。と、適当なものを作ろうかとも思ったが面倒くさくなり、お湯を注いで二分半=カップラーメンで済ませることにした。
そういえばここ何日かのごたごたでこの間せっかく借りた「血玉髄の図書館」を読んでいないことに気付きカバンに入れた。現文の授業のときにでも読もう。
久しぶりのバスケットと、侘須牙との一件でくたくたの体はすぐに眠ってくれた。

翌日、また同タイミングでドアを開けて目を合わせた俺と侘須牙だったが、昨日みたいに侘須牙は無視していかず、「大丈夫なの?手。」なんて聞いてきた。
「お早う侘須牙。手はもうなんとも無いぜ。ちょっと痛みが残ってるだけだ。今日の練習に差し支えない。」
「そう、よかったわ。じゃ、いきましょうか。」
・・・・・いきましょうか?
「・・・・いまお前なんていった?」
「はぁ?何言ってんの?学校にいきましょうっていっただけでしょ?なにそのツチノコでも見つけたような顔は。さっさと行くわよ」
「お、おう。」
どういう心境の変化だろう。昨日は終始一貫無視を決め込んでたくせに今日は「一緒に行こう」?もしかして昨日の一件で俺に惚れたとか?
俺の考え(視線?)を感じたのか、「何か貴方今よこしまなこと考えてる気がするんだけど。」と冷ややかな口調で睨んできた。
「いや、別に。」さすが、鋭いな。
その後は特に会話も無く、かといって昨日のようにぎすぎすしていることも無い、非常に穏やかな感じの六月最後の登校。
歩く以外のことが無いので改めて侘須牙をじっくり眺めることにした。
モデルみたいな身長にスラリと伸びる長い足。歩く動作に一切の無駄が無く、腰近くまである長い黒髪がさらさらと風に流れている。
綺麗だ。際限なく。
侘須牙が振り返って「ちょっと、何見てるのよ。変な視線を感じるんだけど。」なんて睨んできた。やっぱり本質はかわっていない。俺に惚れるなぞ、ありえないさ。なんて内心苦笑いしながら次に口からでた言葉は、
「いや、侘須牙って綺麗だな、って。」いや、ちょっと待て、何いってんだ俺!?
「・・・・・・・・・はぁぁぁあ?な、何言ってんのよ!?貴方馬鹿じゃないの!ちょっと、ホント、信じらんない、いきなり・・・・・。」
すぐに顔を真っ赤に染めて怒ってきた。いままでもそうだけど、侘須牙はこういうせりふに弱いらしい。と言うかそんなことはどうでもいい、俺はなんて事を口走ったんだ!
「冗談も程ほどにしなさいよ?」やっぱり怒るよな。
「すまん。いや、冗談ではないんだけどね。なんつーか、あまりにも穏やかだったから自己管理能力が緩んでいたと言うか、つい本音がでたというか。」
正直に話したらそっぽ向いてしまった。なんか怒ってるっぽい。悪口を言ったわけじゃないんだけどなぁ。
そんなこんなで学校に到着。侘須牙は道場へ朝練に行き、歴土が俺の首を閉めつつ体育館へ連行。
何故歴土が俺の首を絞めつつ体育館へ連行?
「・・・っくは!何しやがる!!」無理やり歴土の腕から逃れて怒鳴った。
「朝練だよ朝練。昨日お前帰っちゃったから聞いていないかもしれんが、今日から朝練だ。」と、さも平然と、悪びれる様子も無くのたまいやがった。
で、体育館に着いたとき最初に見たのはノックアウトされた野球部の高橋と誰か。と、怒声。
「おらぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!タッチャンの仇だぁぁぁあ!!死ねえぇっぇぇぇ!!!」
「んだとこらあぁぁぁぁぁああ!!!」
同じく野球部の河田が誰かにラリアットを仕掛け、誰かがすれすれでかわしまた身構える。タッチャンとは高橋のことらしい。
「朝練じゃなかったっけ。」
「お前を連行する間に邪魔が入ったわけだな。やられたら、やりかえす。よし、行くぜ。らあぁぁぁぁぁあ!」
と早速河田のラリアットをかわした奴にお得意のヘッドロックをかけて昏倒させた。さすが、切り替えが早い。
「サンキュウ!」「オウ!!」と拳を合わせていた。映画みたいでカッコいい。
なんて間抜けたことを考えていたら突然背中にドカンと衝撃と痛み。受身を取る間もなく地面とキス。着いた左手の傷がまた暴れだす。
痛ぇ。
痛ぇ。
痛ぇ。痛ぇ。痛ぇ。痛ぇ。痛ぇ。痛ぇ。イテエイテエイテエイテエんだよ。
シークエンスゼロカウント。脊髄反射でブチ切れる。
変質者のときと同じ。昔からの、他人から受けた痛みで、心が綺麗な水面のように平らになり、理性が吹っ飛ぶ。
ゆっくり振り返り、止めを刺そうと両手を組んで振り下している、俺に痛みを加えた人間から一旦距離をとる。
ソイツは拳がかわされたことを気にも留めず、また殴りかかってきた。
なかなか、やる。そのパンチも全体重がかかった、防いでもダメージを与えられるパンチ。
だけど、俺には。ほんと。イテェ。
ギリギリまでしゃがんで、頭すれすれを拳が通り過ぎる。痛い。
さすがにしゃがんでかわされるのは意外だったのか、驚いた顔をしていた。その、一瞬。痛い痛い。痛い。
痛い。全身をバネにしてソイツの顎にアッパーを決める。一撃、必殺。かと思ったんだけど、なかなかしぶとい。まだ、うめいて(・・・・)いた。
「うぅ、イッテェ・・・・いづ!?」
倒れて顎をさすっていた奴の腹を踏みつける。顎を蹴り上げる。自然に口から言葉が出た。自分のいつもの声より、一段低い、キレてるときの、声。「いてぇんだ。てめぇの所為で、俺の手が。」
あばらに、とどめを。骨に、つま先を、めり込ませ。
完全に、沈黙。
理性が、戻る。
「うわぁ、またやっちまったよ!大丈夫か?」
慌てて倒れているそいつに駆け寄って生きているのを確認。「えーと、歴土。先生呼んでくれない・・・・・か?」
気付くとみんながいぶかしむ眼で俺を見ていた。
どこか怯えた口調で歴土が「月見・・・、お前、何か変・・・だぜ?そ倒れてる奴に、そこまでやる必要ないだろ?」と言ってきた。
あぁ、また、やっちまった。またキレちまった。これを、友達に見せては、いけなかった。
「・・・すまん。キレちまった。昔から、そうだったんだ。他人から痛い事をされると、瞬間的にキレちゃうんだよ。どうにかしようとしてるんだけど、どうにもなんなくて。」
「まぁいい、まずは保健室だ。月見、頭持て。俺は足を持つ。」と栗沢が手伝ってくれた。頭を持って顔を見たら、白目を剥いて完全にダウンしていた。

先生の話では、単に気絶しているだけで、後に残るような怪我はしていないらしい。体育大会まえにはよくあることだ。と笑ってくれた。
その後戻って朝練をしたけど、やっぱりみんなの態度がいつもと違う。一枚壁を置いている。
まぁ、仕方ないだろう。そりゃそうさ。こんな凶暴な、残酷な奴と親しくしようと思はないだろう。朝練が終わった後も俺がいるので殆ど会話も無く、みんなそそくさと更衣室から帰っていく。残ったのは俺と歴土だけ。
「あんまり、キレるなよ。」と一言残して教室に戻っていった。
予鈴が鳴る。
あぁ、これでまたややこしいことになった。もう噂は広まっているだろう。「γ組の月見が――をボコったらしいぜ?しかも倒れた後に何度も蹴ったらしい。やっぱり桐坂出身は危ないぜ?」「月見に近づいたら、殺されるかもよ。桐坂だろ?あいつ。」
少々自虐的になって、授業を受ける気になれず、屋上に逃避することにした。高校に入って、初めてのサボりだった。

桐坂にいたときも一度だけこんなふうになった事があった。
その時は喧嘩になってしまいそうなのを何とか会話で抑えようとして失敗。相手を逆上させちゃって殴られてブチ切れ。相手は右腕とあばら骨を三本、内臓を損傷。即入院。
歴土に桐坂について聞かれたとき「何故か死人も怪我人もでないんだ」なんて答えたけど、嘘。
俺がやったそいつが、俺が桐坂にいた三年間で唯一出たけが人。俺が二年のとき。
怪我させた奴はしばらくして戻ってきて仲直り。他の連中も最初は俺を遠巻きにしていたけど、そのうち前よりも親しく付き合うようになった。
だけど、それは桐坂って言う特殊な学校の連中だからだ。
ここは桐坂じゃない。進学校、帝都公立第壱高等学校だ。そんなふうにはいかないだろう。
空き教室の緩んだ壁の隙間から見つけたタバコを真っ青な空の下でふかしている。どこの学校にも喫煙者はいるもので、大体隠すところもどの学校もかわらないようだ。親切にも(?)ライターもセットだった。悪いね、このタバコの持ち主さん、ちょっともらうぜ。と心の中で謝って、今、屋上。
久しぶりのタバコの煙を肺に入れる。旨い。
ふーっと紫煙を吐き出し屋上のコンクリートにねっころがる。
雲が流れていく。鼻から出した煙も流れていく。タバコの火は2000度~3000度にもなるらしい。
そんな下らないことを考えながら、二本目に手をつけた。
さて、どうしよう。朝からサボって途中から授業に出るのも微妙だ。しかもあんなことが有ったばかりだし。
「帰るかなー。」
カバンは持ってきている。暇つぶしになるようなものをさがしたら、昨日入れた「血玉髄の図書館」が入っていた。
「よし、天気もいいしこれ読むか。」
有意義なサボりになりそうだ。

正直あの時の月見は、怖かった。
眼が据わっていて、何の感情も出さずに、ゴミを見るような目で、憎しみのこもった蹴りを入れていた。無感情な表情で感情的な攻撃という矛盾に、寒気がした。明らかにいつもの月見じゃない月見に、戦慄した。
「なぁ、あいつどうしたんだ?おかしかったぞ。」と教室に戻って早速栗沢に聞かれる。
「いや、わからねぇ。いつものあいつじゃあなかった。としか言いようが無いな。」俺だってあいつに何があったか知りたい。
「歴土もわからねぇか。で、月見は?」河田が詰め寄ってきた。
「あぁ、まだ更衣室にいるんじゃないか?俺が何か言ってもどうにもならないと思った。」
見るからに落ち込んだ月見に、俺は「あんまりキレるなよ。」なんて、腐った言葉しかかけれなかった。
「噂、広まってるみたいだね。δ組の奴らが言いふらしてた。」朝の乱闘で殴られた鳩尾をさすりながら高橋がやってきた。基本的に優しいやつなので喧嘩には向いていないらしいく、柔道技で中西ががノックアウトさせた奴を踏まれないようにコートの外に引きずってあげたところに、鳩尾をくらったようだ。
「なんて言ってる?」
「やっぱり桐坂の月見は危ない奴だ、って。ひどいのは「桐坂の出身の奴なんて何故この学校が入学を許可したか僕には理解できない。桐坂の連中が同じ学校にいるだけで吐き気がするね。あんな暴力でしか物事を解決できない低俗な奴がいると聞いたらかあさまがなんていうか心配だよ。学校側に彼の退学を申し込みたいね。」って、あの成宮が。」
成宮一樹 簡単に言うと、金持ちのぼんぼん。ここの学校はどこぞの私立よりも進学率が高いので金持ち連中も結構いる。
どいつもこいつも鼻持ちなら無い奴等で、特に成宮は父親が医者で、母親がPTA会長をやっていることをいい事にいいたい放題。以前馬鹿にされた群部出身の生徒が成宮の肩をどついただけで母親が動き、事態を大袈裟にしてその生徒を二週間の停学処分にして以来、皆ぶん殴ってやりたい衝動をこらえざるをえなかった。
「まぁ、成宮の言いそうな事だ。殺してやりたいが、奴は殺す価値も無い。あんな奴殺して一生を台無しにはしたくない。」ともっともな意見を栗沢が言い終わると予鈴が鳴った。
「おい、月見帰ってこねぇじゃん。どうするよ?」河田が心配そうな顔をする。てっきりあんな月見をみたから敬遠しているのかと思ったが、そうではないらしい。ちょっと安心した。よかったな月見、嫌われては無いみたいだぜ。
「今はほっとこうぜ。たぶん屋上あたりでサボタージュしてんだろ。そのうちかえって来るさ。で、お前らに一つ聞くけど、」
一応確認しておこう。四人がこっちをむく。
「月見をどう思ってる?俺はあいつがああいう人間でも別に構わん。四六時中誰かを半殺しにしてるわけでもないからな。今あいつきっと落ち込んでるぜ?これで友達が消えた。なんてネガティブシンキングの真っ盛りだ。帰ってきても、俺たちとかかわろうとしないかもしれん。だが、そこはあれだ、ダチだろ?気前よく迎えてやろうぜ?いいな?」
おぅ、われながらくさい台詞を吐いてるぜ。
「俺は別にあいつを嫌いになる理由がねぇ。」と栗沢。「俺だってねぇよ。」中西がまず賛同する。続いて他の三人も笑いながら「朝はちょっとびっくりして話しずらかっただけさ。」なんて言ってくれた。
「おらぁ、立ってる奴さっさと席につけー。朝のホームルーム始めるぞー。」
白崎がやってきたので各々席に戻った。侘須牙がこちらの話を興味深そうに聞いていたのに気付いていたので「彼氏が心配か?今奴は落ち込んでるから慰めてやんな。」と冷やかしたら、音がするくらいギロリと睨まれた。おぉ、おっかねー。

「・・・・・・月見―。ん?月見!あれ、いないのか?侘須牙、知らんか?」何故か私に聞いてきた。
「・・・なんで私に聞くのよ?」
「いやだってお前ら付き合ってるだろ?」
などといいながらニヤニヤ嗤っている。ホンとに教師だろうか。悪い人ではないんだけど。
「知らないわ、しかも付き合ってませんし。朝は一緒に来たけどその後バスケの朝練に歴土君が連行していったわ。」
あ、ニヤッとした。余計なこと言わなきゃよかった。
「朝一緒に来てたのか・・・。まぁいい。じゃあ歴土、月見は?」
「あー、今ちょっと傷心でして、しばらくしたら戻ってくると思うぜ?たぶん。」
「なに、月見が傷心?侘須牙、お前ふったのか。」
「だから付き合ってなんか無いって言ってるでしょ。いい加減意してくれます?」
すこし苛立ちをだして言ったら、
「はっは、わかってるって。そう怒るな。そうか、傷心ね。ま、そのうち帰ってくるだろ。じゃ、朝のショート・ホームルームは終わりだ。あ、そうだ、学級委員の科川、生徒会が体育大会のことで話し合いがあるそうで、四時半に生徒会室だ。」
「なんの話かわかりますー?」
「しらん、いって確かめろ。」
テキトー感溢れる朝のホームルームが終わって、クラスに喧騒が戻ってきた。
月見君はまだ戻ってこない。何やってんのかしら、歴土君は、落ち込んでるとかいってたけど。まぁ白崎じゃないけど、そのうち戻ってくるでしょう。

本を読むには屋上の直射日光は少々強すぎる気がしたが、そんなことは気にせず、黙々とページをめくる。
時折ふく風に、勝手にページがめくれる。
チャイムの数から判断して、三時限目が終わったところだろう。誰も探しに来ないので助かった。
もう「血玉髄の図書館」の中ほどまで読み終えてしまっている。侘須牙が授業をろくに受けずに読みふけっていたが、この本にはそれだけの価値があった。
内容としては、旧日本帝国軍遺伝子研究部が、人間の持てる能力を最大限に引き出し戦闘に特化した人間兵器の試作として生み出した青年と、その友人と恋人たちの葛藤を、青年の友人の視点で描いているのだが、あまりにも出てくる街がこの街と同じで、その軍の研究機関があるとされている図書館が、あの旧図書館にそっくりなのだ。
そしてこの本を借りたときに、アノ第二書庫の机から盗った古い原稿。それをポケットに入れたまま忘れていたのだが、ちょうど今日はいてきたズボンがそのときのもので、
「この上で起きた出来事は、」
そう、あの書庫は地下だった。
奇妙な一致に寒気を憶えながら、更にページを進める。
「―――殴られた後彼は反撃し、松井を半殺しにしてしまったのだが、そのときの彼はいつもの彼とは全く違って、」
「その後、はっとした表情にもどり、」
「どうやら殴られてキレたようだが、そのきれ方が尋常じゃなくて」
「痛い、痛いと呟きながら」

ちょっと、まて。
これは、俺と、同じじゃあ、ないか?
思い違いと、とりあえず置いておきまた読み始める。

四時限目が終了したことを知らせるチャイムと共に「血玉髄の図書館」を完読。ようやく本から頭を上げる。
とたんに腹の虫が鳴き、持ってきた弁当を食うことにした。
朝に急いで作った豚の生姜焼き丼弁当バージョンをもぐもぐ食べながら、今しがた読み終わった「血玉髄の図書館」について考察を始める。
結末としては悲劇系で、主人公(友人)は生き残っているものの、兵器化された青年は死亡。その恋人も、青年の子供を産んで後死亡。
他の友人たちもほぼことごとく死亡。
やたらと人が死ぬ小説で、しかも結構残酷、容赦ない。
しかし主人公の語るような口調と、淡々とした殺戮描写の中に淡く透き通るような青年とその恋人の交流には心動かされるものが在った。
そしてポッケからだした、あの古びた原稿用紙を広げてみる。

正館十八年十月二十三日

今日がここにいる最後の日になるはずだ。この部屋には世話になった。

この上で起きた出来事は、きっと揉み消されるだろう。

血の染み付いた壁紙は張り替えられ、血溜まりの出来た床は、きっちりと染み抜きがされるだろう。

この図書館で起きたことを知るものたちはかん口令が敷かれ、建物は閉鎖され、あの被検体―――

しかしあの本を読み内容に気付いたあの連中がどんな顔をするか、目にありありと浮かぶ。

きっと私を殺害するだろうが、もう私はこの世にはいないだろう。

一つ気になるのは、彼の子供だ。生まれてまもなく彼の妻が死亡し、とある知り合いに預けられたと言うがその学者夫婦は今ペルーにいると聞く。

彼の子は大丈夫だろうか。まぁ、その夫婦の娘がしっかりしていると聞いているから、心配はないと思うが。被検体に施された操作の遺伝は残ると思うが、仕方あるまい。

さて、私が死に、他のも者も記憶を閉ざされ、誰もこの事を知るものがいなくなっても、

血のあとが消し去られても

この

血玉髄が証明している。

一緒に、血玉髄を入れておこう。

鍵を閉めたら、クスリを飲もう。

もうすぐ死ぬ。待っててくれ。

この文章と、本の内容の、寒気すらする一致。
というか作者か書いたとしか思いようがない。
昼休みの終了を告げる鐘がなったけれど今更戻る気にもなれず、原稿用紙を本に挟めてしまい、日光を吸収して暖かくなったコンクリートねっころがると、途端に眠たくなって、俺は素直に意識を落とすことにした。


「侘須牙、月見はまだ戻ってこないのか?このホームルームが終わる前に来なかったら欠席なんだが。」
だから何故この教師は私に聞くんだろう。
「知らないですけど。いままで皆勤なんだから一日くらい休んでも大丈夫でしょ。」
とは言ったものの、もうそろそろ放課後になるのに結局月見君は帰ってこなくて、隣の席は朝から空いたままだ。
そのうち戻ってくるだろうとは思っていたので心配しなかったけど、さすがに一日中帰ってこないとなるとそれなりに気にはなる。歴土君もそれは同じらしく、「探しに入ってくるわ。」と教室を出て行ってしまった。
「まぁいい。誰だってアンニュイな時がある。お前らも辛くなったら程ほどにサボれよー。」
などといって白崎は帰りのSHRを終わらせてしまった。
二人三脚の練習もあるから、帰ってきてくれないと結構困るんだけど。

案の定屋上の窓すべて閉まっていたがは一つだけ鍵が開いていた。
カラリっと開けて日差しを浴びてひとしきり伸びてから、窓の無い方へと回り込んだ。
思った通り月見が居て、頭の後ろに手を組んで気持ちよさそうに寝ていたが、構わずに持ってきた携帯音楽プレーヤのイヤホンを月見の耳につけて、ヴァン・ヘイレンを最大で再生。バック・トゥ・ザ・フューチャーだ。一度やってみたかった。
「いひゃぁ!!?」
期待通りの間抜け声で飛び起きる月見に「おはよう。よく眠れたか?」と爽やかに挨拶をして立たせる。
「・・・歴土、今の起こし方は勘弁だ。脳髄にドラムとギターがいまだにエコーしてる。むしろ脳内がハウリングって感じだ。」
「へっ、サボる奴がわりぃんだよばーろぅ。もう授業は終わっちまったぞ。てめぇは欠席だ。」
月見がびっくりした顔をして「もうそんな時間経ったのか?まだ昼だと思ってたんだけどな。」などと抜けたことを言ってぽりぽり頭をかいた。よかった、どうやら朝のようなおかしい月見ではもうないらしい。
「すぐに体育館に行くぜ、また乱闘になる前にな。」出来るだけなんてことはないように、自然に月見を連行しようとしたが、やはり無理があったみたいだ。月見の顔が凍りついた。
「おい、朝の俺、見てたろ?これ以上キレたらまずい。他の連中もいろいろ言ってんだろ。別に気を使わなくていい。俺は抜けたほうが練習がはかどる。俺なんかじゃなくて他にもいるだろ、青島とか。」
やっぱりそうきたか。今コイツはネガティブシンキングの真っ最中に違いない。
「馬鹿野郎。栗沢も高橋も河田も中西も、お前に戻ってきて欲しいっていってんだ。別にあのくらいでお前を避けるような薄情な人間じゃねぇよ。まぁ他の組の連中はなんやらかんやら言ってるが気にすんな。ほら、さっさと行くぜ。」
なおも「いや、だけど他の人に迷惑かけられないだろ。」なんていってる月見の肩をがっちり掴んで面と向かって怒鳴ってやった。
「いいか月見。うちの学校の体育大会なんて向こうもこっちも怪我を覚悟でやってんだ。この大会に参加する時点で痛い目に遭うってことは皆承知のうえなんだぜ?それを、「もう誰も傷つけたくない」なんて偽善のヒーローみたいなこと言いやがって。第一てめぇが抜けると戦力が大幅減なんだよ!わかったか!いくぜ!」
遂に月見も折れたらしく、「仕方ねぇな。じゃあ、行きますか。今度キレても責任はとらないぜ?」と苦笑してかばんを背負った。
まったく、世話の焼ける奴だこと。

「おい!連れてきたぞー!って、またかよ。今度は・・・・ε組か。」
歴土に連れられて体育館に来たものの、睨み合いの最中だった。にもかかわらず
「おぉ月見!戻ったか!!早速一戦交えるぞ。お前がいないと困るんだぜ?しゃんとしろしゃんと!!」
「あー、よかった。戻ってこなかったらどうしようかと思ったよ。」
「来たか月見!おっしやε組!言いにくいな。我らが月見鈎夜が戻ってきたぜ!死にたくなかったら今の内に出ていきな!」
などと迎えてくれた。正直この展開は予想してなかったので少し感動。
「あー、わりぃ。朝は迷惑かけた。すまん。その分活躍するから見てろよてめぇら!」気分が上がってきた。もうあの鬱々としたものはなくなっている。
「いいぜぇ月見!突っ込むぞおぉぉおえええああああ!!」
歴土と二人で一番手前にいた二人に鳩尾を食らわせてノックダウン2
他の三人も続いて(高橋は既にその二人をコートの外に避難させていた。優しいやつだ。)ものの数十秒で圧倒。

「えーぃ!月見も戻ったし、今日も五時半までみっちり練習だ!!」
「「「「おう!!!」」」」

この学校では、桐坂のようにはいかないと思っていたが、そうでもなかったみたいだ。いままで以上に親密に練習ができて、子の調子だと優勝もできそうだった。

五時半に練習を終えて急いでアパートに帰る。
やっぱり侘須牙はちゃんと待っていた。
開口一番「今日はなにしてたわけ?どこでサボってたのよ。」と、当然の追及。
「屋上で血玉髄の図書館を読んでた。」
「そう、何があったかは知らないけれど、まぁ元気そうだからとくに聞かないわ。今日も練習するわよ」
といって縄を取り出してにやりと笑った。
侘須牙がちゃんと笑ったのをみるのは、初めてだった気がする。縄持ってにやり、なんてちょっと怪しかったけど。


そうしてこうして三週間。
太陽もギンギラギンで、体育大会まであと一週間。
バスケの練習はともかく、侘須牙との二人三脚の練習はなかなかにきつかった。
最初の練習を含めて十回以上はこけたし、遅くまで練習してたら通りかかった警官に「君たちナニをしてるんだ!」と怒られたこともあった。
毎晩毎晩二人で練習していれば、いやでも会話の数は増えてくる(いやでも、じゃなくて俺にとっては嬉しいことだけど)。
身内の話になって、侘須牙の両親が他界していることをしって、今は親戚のおばさんが助けてくれているらしい。でもって、一人暮らしはいいのだけど料理が出来ないらしく、あれは一週間とちょっと前からだったと思う、俺が料理を教えることになった。

「貴方って、料理、してるのよね・・・・・。」
練習を終えて部屋に戻ろうとしたとき、突然侘須牙にこういわれた。
「あぁ、出来るけど。」勿論一人暮らしなのである程度の料理はできる。コンビニ弁当は俺にはすこし味付けが濃いので、なるべく買わないようにしている。
何故か張り詰めた表情で「頼みがあるんだけど・・・・。」なんていわれたので、ドアノブにかけた手を離して向かい合う。
「えっと、り、料理、教えて欲しいんだけど・・・・・・。」
え。声が若干上ずっている。
「料理、出来なかったんだ。意外だな。」まぁここは素直に教えてあげないとね。
「わかった、俺も特別上手なわけじゃないがある程度まではおしえてやる。じゃあ、早速今日の晩飯からやるか。」
「・・・・ありがとう。え、でも今日から!?えっと、ちょっとまってて。片付けるから。」といって、あわただしく部屋に返ってしまった。
今日からはちょいと急かなと思いつつ、侘須牙の部屋に向かって「よかったら壁叩いてくれ」と言い残して自分の部屋に戻ってシャワーを浴び、壁を叩く音が聞こえたので外に出た。
ドアを開けて侘須牙がまっていた。「上がってー。」と俺を招いて部屋に引っ込んでいった。
少し躊躇って靴を脱ぎ、部屋に入る。
女の子の部屋に、しかも一人暮らしのその部屋に入るなんてなかなか簡単に出来ることじゃない。
さっきはそんなに考えずに簡単にOKしたが、今考えると、おう、緊張するぜ。
「おい侘須牙。俺みたいな男を部屋に入れてもいいのかよ。」と、一応聞いてみる。
「・・・何、貴方変なことするわけじゃないでしょ?私は、貴方から、料理を、教えてもらうだけ。変なことなんてしたら殺すわ。」なんてさらっと言ってくれた。
このごろずっと一緒にいたから、もう前のようなギクシャクした感じは無く普通に話せるようになっていたりするので、侘須牙がどんな性格かがだいぶわかってきた。
基本的に人が嫌いらしく、自然に突き放すような口調になるようだ。けどなかなかユーモアのセンスのある奴で、話し始めるとしばらく話がおわらない、いい意味でね。
侘須牙の部屋は、勿論作りは俺の部屋と同じだったが、非常に小ざっぱりとしていて、あんまり余計なものがない。
居間にはテーブルと大きな本棚二つ、デスクトップパソコン(テレビのケーブルが延びていたので、テレビ、パソコン兼用なんだろう。)とプリンター。本棚にはびっしり本が詰まっていてジャンルも様々。最近の小説から「薬用植物ハンドブック」、はたまた「魔術 理論と実践」なんてオカルトな本もあった。
お台所にはいると、いつもの黒を基調とした服に黒のエプロン、黒のスリッパの侘須牙が腕を組んで待っていた。にしても黒が好きだな。
「さて、じゃあ始めますか。早速だけど今冷蔵庫には何入ってるんだ?」
冷蔵庫を開けて「・・・・・・・・・カレーとシチューとホイコーローの作り置きがあるだけね。」との侘須牙のせりふに一瞬めまいを感じて、
「・・・・・ほんとにそれしかないのか?あまってる食材とかは?というかそのカレーとかは誰が作ったのさ。」
「カレーとシチューは作れるのよ。むしろカレーとシチューしか作れない。ホイコーローはおばさんの差し入れ。食材は、ほんとに何にも無いわ。どうする?」
冷蔵庫をパタンと閉めてこっちに振り返る。で、じーっと俺を見る。
「いや、俺を見ても食材はでてこねぇぞ?」
その視線にたじろぎながら、うすうす侘須牙が何を言わんかとしているかがわかった。
「今から買いに行くのは面倒くさいわね。なにかいい案ないかしら」
なおも見つめる。非常に見つめられるのはいいんだけど、、、、
「・・・・・わかったよ。俺のとこからなんか適当にもってきてやるよ。ちょっと待ってろ。」
結局俺の出費になるわけだ。女には、勝てねぇ。

部屋に戻って豚肉、玉葱、ジャガイモ、にんじん、糸こんにゃく、たぶん無いとおもってだし汁をとって、調味料くらいは侘須牙が持っていることを願がい、またもどる。
「おし、今日は肉じゃがだ。基本で簡単、そして美味しい。もともとはイギリス人が日本でビーフシチュウを作ろうとしたのが始まりだそうだ。」
「へぇ、ビーフシチュー・・・変なことに詳しいのね。勉強はそんなに出来ないのに。」
「やかましい。ところで醤油とかみりんとか、調味料はあるんだろうな。」なかったらまたとってこなくちゃならない。
「それくらいはあるわよ。じゃ、はじめましょうか。・・・・・お願いします。」
いささか緊張気味に腕まくりをした侘須牙は、若奥さんってかんじで美人だ。
「うん。まずはこいつらを切るか。カレー作れるんなら包丁は問題ないんだよな。」と念のため確認。
「えぇ、包丁は大丈夫。私はジャガイモとにんじんを担当するから、月見君は肉と玉葱を。」
さっさとジャガイモ、にんじんを確保して早速切っている。・・・・こいつ、玉葱をこっちにまわしたな?
食材を適当にきった後は、必要な調味料を用意して、さて、これから本番。
「まずなべに油を入れて火にかけろ。で、最初に火の通りにくい肉を投入だ。」
「おっけー。わかった。」たぶん何回もカレーを作っているようなので、基本はなっている。ごく普通に肉をいためて、次々と俺の指示に従い野菜を投入。だしを入れてあくをとり、ここまできたらもう完成だ。
「火がまわったら砂糖、醤油、みりん、お酒を入れるんだけど、めんどくさかったら「めんつゆ」でもいい。あれは分量を間違える事が無いから便利だぜ。今日は一応基本でいこう。」
「へぇ、「めんつゆ」ね。覚えとく。えーと、砂糖とかの分量はどうすればいいのかしら。」
「うん、そう。そのくらい」

侘須牙の料理の腕は良く、たぶんカレーとシチューしか作れなかったのは、他の料理の作り方がイマイチわからなかったからだろう。侘須牙は完ぺき主義なところがあるから。
でもって問題なく肉じゃがを完成させて、ただ今二人で食事中。
「うん。いい感じだな。作り方さえ覚えたらもう大丈夫だろ。」
「意外と簡単だったのね。貴方の言うとおり、分量を間違えることもなさそうだし肉じゃがはマスターしたわ。これで明日からカレーの地獄から開放ね。」と、綺麗に、笑った。侘須牙のこんなにすっきりした笑顔は、初めてだった。思わず見とれてしまって「なに?え、口の周りになんかついてる?」なんていわれてしまった。かなり可愛くて、正直、落ちた。どきどきする。
きっともってあの入学式のときからそうだったとは思うんだけどね。今更。って感じはするけど。少し心を落ち着かせて、別の話題を切り出した。
「・・・体育大会、勝てるかな。でもなかなかいいチームワークしてるよな、俺たち。」
実際俺たちはここ最近の練習で抜群の成績だ。タイムもかなりいい。問題は・・・・
「問題は格闘ね。体育館に着いたら月見君が戦うわけだけど、あれって何かルールあるの?」
「いや、金的禁止以外のルールはない。各組五人の男子が十五分間の乱闘を繰り広げて、まだ息のある奴が時間になると開く扉の中にある旗をとるわけなんだけど、前の年は全員ダウンして優勝者が出なかったらしい。」
それほどに壮絶で、激しいということだ。
「・・・・なんだか滅茶苦茶ね。で、貴方。勝てるの?早くたどり着いた人が二つしかないプロテクターを着けられるんでしょ?」
そう、五人に対して二つのプロテクター。・・・少ないよなぁ。
「そうさ。だからなるたけ早くたどり着かなきゃならん。他の奴らからの妨害は必死だな。」
「妨害してきたらやり返せばいいのよ。・・・・えっと、あのさ」
なんだろ、
「今日は貴方が持ってきてくれたけど、何か用意するものあるかな?明日もまた料理を教えてほしいんだけど、・・・。」
「わかった。じゃあ明日の帰り一緒にカネイチスーパーで買い物に行こうか。えっと、五時四十五分くらいに来てくれるとちょうどいいんだけど。」
カネイチスーパーとは、高校からアパートの道のりにあるスーパーで、俺の行きつけ。
「わかった。四十五分ね。えと、今日の分はどうしようかしら。何かお返ししたほうがいいわよね。」
「いや、別にいいよ。こうして俺も食ってるし、美味しいから。」
「そう?でも足りないでしょ。じゃあ明日は今日の分も含めて多めに買っておきましょ。・・・・またよろしく。」
「おっけ。任せろ。」

その後肉じゃがを食い終わって、侘須牙が料理ノートなるものを取り出してきて最初の一ページに肉じゃがのレシピを俺から聞いてかいて、時計をみたらもう八時をまわっていた。
「じゃあ、そろそろ戻るわ。」
「え、あぁ。うん、わかった。今日はありがとう。勉強になったわ。」
すぐ隣に戻るだけだったが、もう少し侘須牙と話していたかった。けども女の子の部屋にいつまでもいるわけにも行かないので、おもい腰をあげて玄関に向かう。
五歩くらいの距離なのに侘須牙はパタパタと玄関まで来てくれた。
「じゃ、また明日。」
「うん、また。」
別れの挨拶を交わして帰ろうとドアを開けたとき
「ちょっと月見君・・・・・・・」
と呼び止められた。振り向くと微妙に強張った表情の侘須牙がなにやら口ごもっている、俺が怪訝な顔をすると
「えーと、やっぱりいい。」なんてやめてしまった。もう少し侘須牙と話が出来るかと思ったが残念。
「また明日な。」
今度こそドアを閉めようとしたら
「・・・・ありがとうね。」って、羞恥でちょっと紅く染まった笑顔は、それはもう、完璧で、最高で、たぶんもうほぼ侘須牙に骨抜き状態だった俺の何かを粉砕するには十分すぎた。
俺は、侘須牙に惚れてるぜ。
その日は心臓がうるさくてぜんぜん寝付けなかった。

次の日もスーパーで食材を購入し、麻婆豆腐を作って、また帰り際に呼び止められた。
その日は何かを決意した表情で、侘須牙はこういった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・携帯のアドレス、教えてくれないかな。」
ちなみにおばさんを除いて、侘須牙の携帯に入ってるアドレスは俺のだけだそうだ。
隣の部屋なんだからあんまり必要が無いような気もしたが、夜ははマイハートが16ビートを刻んでしまっていて、全くの不眠だったことをいっておく。

その後も今日に至るまで、毎日料理教室はやってたりする。和食、中華、が中心だった。まぁ俺の好みなんだけど。
帝壱乱闘祭(今年から体育大会から名前が変わったらしい。理由は「ダサいから」By科川)なんていう滅茶苦茶な看板がでかでかと立てられて、各組の練習にも熱が入って睡眠者続出の授業はほぼ壊滅状態。教師も半分あきらめているのかプリントを配って「後好きにしろー。」みたいな感じになっている。
一応優等生で通っている侘須牙はプリントを早々に終わらせて、珍しく「月見君、後の授業は別に受けようが受けまいがあんまり意味無いから、サボりましょ。」なんて事をいってきた。
この時期はサボっても全然差し支えないとはいえ、侘須牙が「サボろう」なんていうとは思わなかった。世の中わからないものだ。
「いいけど、どこに行くよ?今日は晴れてるから屋上にでもいくか?」
「今屋上に行ったら、この教室以上の人がいるに決まってるでしょ。道場に行くわよ。」
あぁ、そういえばコイツは古武術研究会だったっけ。
「よし、じゃあいくか。カバンは持っていく?つーかサボって何するよ。」
「サボって何するって、訓練よ訓練。最後の格闘死合の訓練。お弁当も食べたいしカバンは持ってく。早速いくわよ。」
「なるほど、じゃあ、先に入っててくれ。タオルとか用意するから。」
「そう、それじゃ入ってるわ、ジャージ、忘れないように。・・・早く来なさいよ。」
と、侘須牙は先に道場へ向かった。
俺も朝練で使って、洗って干しておいたタオルが乾いてるのを確認しカバンにたたんで入れる。
教室を出ようとした瞬間、襟を掴まれて物凄い力で引っ張り込まれた。間違いなく歴土だとわかる。
「最近侘須牙ちゃんと仲いいじゃないか。交際疑惑を持ち上げたときは面白半分だったが今はほんとに付き合ってる雰囲気だぜ?実際どうなのよ?」
実際どうなのよって・・・・・。まぁここ最近ずっと練習してるし、料理教えたりもしてるし結構自然に話すようになったのは確かだ。
だけど料理を教えてる、なんてこいつに言ったら面倒なことになりそうなのでしらばっくれることにした
「別に、特になんもねぇよ。歴土の思い過ごしだ。ところで今日のバスケの練習は何時からだ?最後の六時限目は現社で白崎だからサボれんだろ?」
「ふん、微妙に話題をそらしやがって。まぁいいか。お幸せなこって。 お前の言うとおり、六時限目は練習だ。遅れんなよ。」

道場に向かったら、既に侘須牙はいつもの黒ジャージ、ではなく、
袴に着替えていた。道場では袴に着替える主義らしい。
やばいくらい、くらっと来た。
もともと美人で長い黒髪の和風美人が、袴着て、髪を後ろで一つにまとめて縛ってる姿をみて、なんて、うわ、
「遅いわよ。・・・・なにぼけっとした顔してるのよ?今日は格闘死合の訓練だから、月見君もジャージに着替えなさいよ。」
「あ、あぁ、わかりました。着替えます。」・・・敬語になってるし・・・・。
でもっておもむろにジーパンを脱いで、ジャージが無かったので柔らかいウィンドブレーカーをはこうとしたら
「って、ちょ、貴方、どこで着替えてるのよ!!考えなさいよ馬鹿!」
と怒られてしまった。そこまで気にしなくてもいいだろ、と思いつつも「え、あ、わりぃ!すぐに・・・・」と急いで着替えを終わらせる。
「よし、終わったぞ。いや、もうこっち向いてもいいから・・・。で、具体的に何をするのさ。」
侘須牙はまだ怒っていたが、なんとかこっちを向いてくれて「ぎり」と一拍睨んだ後、「まずは力の測定。教頭先生が私費で買った機械があるから、一回やってみて。」と男子更衣室へと俺を連れて行く。・・・更衣室があったのね・・・・。
果たしてそこには
「これ、なんかの拷問器具?」と思わず呟いてしまうほどの、かなり痛そうな筋トレのマシーンと、測定の機械と思われる器具があった。
侘須牙が説明書を読みながら測定の方の器具のモニターをいじりながら
「それじゃあまずは反射神経のテストから。そこの台に立って・・・そっちじゃなくて、こっちの」と指差したのは、拷問マシーンの方だった。
おいおい、何をする気だ?この手の反射神経のテストって、いい予感がしないんだが。
「砂が入った袋がつぎつぎ飛んでくるからかわして。当たったら痛いわよー。天井からの位置エネルギーが満載だから。じゃ、スタート。」
「え、やっぱりそ、わ、ひ、う、いで!い、わぁ、ふっ、ぐは!ず、いや、ま、ちょ、む、り、いぎ!し、ぬ、・・・・・」
一分間の測定が終了。侘須牙曰く、「私これ、当たったことないわよ?」だってさ。
「まぁいいわ。月見君なら避けられなくても打たれ強いでしょ。次いくわ。」
「・・・・まだ、あるのか」
もう既にへとへとだった。だってよ、天井から紐に吊るされた砂袋がひっきりなしだぜ?っていうか勝手に学校の天井改造していいんだろうか。
その後、「測定」と表した拷問はお昼まで続き、ようやくいまお弁当。中身は昨日侘須牙に教えたハンバーグで、余ったのをもらって弁当に入れたのだが、侘須牙の弁当にも入っていた。ちょっと、何故かしあわせ。
侘須牙がさっきの測定プリントアウトを見ながら話しかけてきた。「へぇ、まぁ喧嘩が強いって言ってた割には反射神経が普通だけど、他の分野はなかなかね。」
「別に俺は喧嘩が強い、なんて自分で言ってないんだけど・・・・。で、測定の結果俺にどういう訓練をしろと?」
「そうね・・・・月見君、中学のとき授業で柔道やった?」
やってない。桐坂のような学校で柔道の授業なんてやると、それこそ死合になるから、という理由で。
「やってないけど。」
「じゃあ受身とかも知らないわよね。この間他の組の出場者を調べたら、α組と私たちを除いて全員柔道部なのよ。投げられて受身を取らなきゃ、死ぬわね。」
「お前が言うんだからそうなんだろうな。でもどうやって受身を練習するんだ?」
「まずは基本の体勢を反復練習。そしたら私が投げるから、しっかり受身を取れるようにして。」
えぇ、え!?
「お前が、俺を、投げるのか?」
それはいろいろとまずくないか?いろいろ。投げるって事はつまり、その
「まずくないか?えと、投げるって事はつまりだ。体が密着するわけで、決して俺がいやなのではなくむしろ嬉しいんだが」
何をぱにくってるんだおれ・・・・?
「い、えーと、お前はいのか?」
何がだよ・・・・。
すると侘須牙が、みるみる頬を紅くして
「な!私だって別に嫌じゃない・・・というか、えーと、うん。は、早く練習するわよ!!いい?私が!月見君を!投げるの!いいわね!」
と、なにやら一気にまくし立てられた。まぁ、いいか。いいのか?
知らない人が見たら「何床の上でじたばたしてるんだろう」と言った感じの受身の練習の後、柔道着に着替えさせられて(更衣室でな。)遂にやってきた実際投げられてからの受身。
「いい?投げられたからって体を強張らせてたらだめなの。ちゃんと今投げられてる、もうひっくり返せないって事を認識して、痛くないように、次の動作にしっかり入れるように受身を取るわけ。受身とったら痛くないから。」
「おう、腕と足で地面をドンとやるんだろ。」
「そう。」
「うん。」
「・・・・・・・・。」
・・・・・・・・。気まずい・・・。
「じゃ、じゃあいくわよ!」
「あ、あぁ!よろしく。頼む!」
無理やりテンションを上げて道場の真ん中に行く。袴姿の侘須牙と向かい合って一息入れる。
「は、はじめのうちはうまく受身を取れなくて、背中から落ちる人が多いから気をつけて。い、いくわよ。」
といった侘須牙の顔は真っ赤で、襟と袖を掴んだ手は強張っていた。
「お、おい、大丈夫か?」と思わず聞いてしまうくらいだし。
「大丈夫。いくよいっ!」
いきなり視界がくるんと転換、天井が見えて、オレは空中にいて、からだが、うごかない。
瞬間背中から衝撃が一気に体を打ち、肺から空気が飛び出す。息が、出来なくて、
「だ、大丈夫!?ちょっと投げるのが早かったかもしれない!!はい、息すって、吐いて、吸って、吐いて。」
しばらくははくことしか出来なかったけど、いい加減落ち着いてきてた。
「・・・よし、おっけーだ。もう一回。今度はちゃんと受身とってやる。すまん。」
「じゃあもう一回いくわよ。今度はさっきよりも上手く受身ができるように投げるから。はいっ!」
さっきと同じに視界が反転。でも慌てない。右手を伸ばして、左足を折り曲げる。着地!ドン!と地面をしっかり受け止めて、あぁ、痛くない。
「出来たみたいね。じゃあもう一回。」侘須牙の顔はまだ心なしか紅かったが、自然体の侘須牙だった。
そんなこんなでお昼のチャイムがなった。ほぼ完璧に受身を覚えた。
「もう大丈夫みたいね。じゃあ最後に本気で投げるから。」といった侘須牙は、既に肩で息をしている。そりゃそうだろう。俺みたいなでかい男を何十回も投げたんだ。疲れるに決まっている。
「大丈夫か?無理すんなよ。」
「これで最後って言ってるじゃない。いくわよっ!って、きゃ!」
やっぱり疲れてたんだろう。カクン、と膝の力が抜けて俺を背中に背負ったまま体が右に傾く。ずり落ちる俺の体は既に侘須牙の制御範囲を超えていて、でも侘須牙の体は力が入ってなくてそれでもって俺の柔道着の裾は掴まれたままで。
スローモーションで落ちていく俺の体。受身をとろうとした瞬間、侘須牙も一緒に倒れかけていることにきづき、
だぁん!!床からの衝撃と、俺の上に乗っかってきた侘須牙の衝撃で、頭が畳みに叩きつけられ、肋骨がたわむ。肺から息が飛び出すというか胸が潰れた。
一瞬意識が飛びそうになり、侘須牙が、俺の上に倒れこんでいたことを再確認、苦しい胸に神経を集中させてみると、確かに柔らかい感触が・・・・・・!
もう一回別の意味で意識が飛びそうになって、こんな機会はめったにないぞ!!と必死に白くなりつつある意識を引きずり出す。
「痛・・・。だ、大丈夫!?ちょっと何か危険な感じの顔になってるわよ!?ほんとに大丈夫!?」と侘須牙が俺の体から飛びのいて、必死に俺をゆすっているけど、こっちは押し付けられた侘須牙の胸だけで意識を保っていたので、彼女の体が離れてしまった今、「む、ムネ・・・・。」と呟いて、残念に思いながら意識を失うことにし・・・・・・しようとしたんだけど。
ざばぁっ!
って感じで顔に水かけられた。鼻に水が入って痛くて仕方がない。
「よかった、戻ってきた・・・・・・。」
心底心配しました、という表情で俺を覗き込む侘須牙に、さっきの胸の感触がよみがえり、まだ少々朦朧としてる俺が最初に口走った言葉が
「侘須牙、胸やらかいな。」
だった。
「え、胸、やわらか・・・・って!この、ちょっと意味わか!う、えぇ!?」
顔を真っ赤にして狼狽する侘須牙は笑ってしまうほどで、バケツを投げつけられた。
畳、といってもビニール製なので水の掃除は簡単だった。

「ほんっと、いや、私が悪いんだけど・・・・。貴方ってば」
「・・・・最低?」予想した答えを先に言う。
「そうよ。最低。普通あんなこと言う?む、胸柔らかいなんて・・・・!」
「あぁはいはい悪かった。朦朧としてたんだよ。別に悪口じゃねえからいいだろ。」
二人で弁当を食べながら、先ほどの俺の失言にについて侘須牙に怒られている道場での昼休み。
「むしろ褒めてるんだが・・・。」
「なに?何か言った?」
自分でこっちに絡んできて、勝手に顔を紅くしている侘須牙が可愛かったのでちょっとからかってみた。
「いや、「大きいな」の方がいいのかなって。・・・いや、ちょっと痛いから、つま先にに踵落としは痛いからやめろ!」
入学当初では考えられなかった今の侘須牙と俺の関係。・・・関係って書くと何かヤラシイ感じになるんだけど。ちょうど体育大会(帝壱乱闘祭になったんだっけ。)のペア競技に無理やり選ばれて練習を始めたときから。俺と侘須牙の距離は、そりゃ毎晩一緒に練習すればそうだけど、確実に縮まった。
自己紹介こそあれだったけど、実際は結構楽しいヤツで。
料理を教えてくれと頼んできたあの日から俺は侘須牙の笑顔にやられて、表情にこそ出さなかったけど、見事なまでにべた惚れだった。
相変わらず俺以外の連中には何かと冷たい反応だけども、それでもわりとましになった、とクラスで話が持ち上がることもあった。
侘須牙は俺をどう思ってるんだ?
なーんて考えてみたりしてさ・・・・・・。
「ちょっと、人の話聞いてるの?」




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